「描くように造る」
描くように造りたいと思う。
描くことは、世界、外部の見方であるからだ。
描くことで、現実を超えることができるからである。
風景を見ていた。いや、風景を見ていたはずであった。消されることのなかった炎によって、すっかりモノクロームに印画紙へ焼き付けられた光であった。1995年1月17日の生まれ育った神戸下町の風景のである。かつて見知っていたイメージ、大戦の空襲により焦土となった記録画像を見ていた。経験していない目撃していない風景が目の前にあった。あると感じていた。既視感というものであろうが、日常性を超えた現実の中で自らの眼差しが実際に直に見たことのないイメージを思い起こしたことに、「なぜ、今こんなことを思い出すのだろう」と、少し間をおいて意識にのぼった。ブラウン管に投射された電子の発光、インクの載った印刷紙の反射に、かつて知覚した画像を自らの記憶としていることへの焦燥があった。
想像力が閉ざされたようであった。想像力が拡大され組み立てられた記憶であるとすると、自身の中に描き込まれた他者の記録が記憶となって、記憶そのものが想像する力を人から奪ってしまったかのようである。記億は人間が生きていくうえで根本の事柄である。昨日の私と今日の私の同一性を自他ともに認めるのは記億以外にはないとすると、この出来事をどう捉えたらよいのか逡巡していた。生のままの苛烈な現実は受け入れ難いほど事実そのままである。このような時、造型によって現実に対峙することは無力、無効であると感じざるをえなかった。
しかし物を造ることは現実を超えることができるはずである。偽りではないが、造型は人工物であり作り事、フィクションである。造型とは例えばデッサンが物の形の写しではなく物の見方であることが示すように、事実そのままを現し出すことではなく、世界、外部の見方であり読み解き方である。人間は目に見える人工的な形象、造型物を視覚を通して表された記譜や文体として自他共に共有することが出来る。この言い表し方を共有することは人間の生存を精神的に支え、現実を超える糧となる。
人間が造り上げた物が一瞬で崩壊した現実を歪な記憶と共に目撃し、肉親を失って間もない時に制作した仕事「K-953」を本展に出品することとなった。あえてその厄災に直截コミットメントすることを忌避したとしても、その仕事になにがしかの影響が形となっているに違いない。
家も道も人間が自然を変形した人工物、人間が造り上げたものである。それを自然が強烈なエネルギーで再び変形したものを人間が瓦礫と呼んでいる。世界が、外部が常に転移流転し不安定である証左である。同じように、技術に基づき人間が自然を加工、変形した人工物が鑑賞性を持ち芸術と呼ばれるとしても、これらもまた更に危うい均衡の上に成立しているに過ぎない。崩落した人工物を瓦礫と呼ぶならば、造型が芸術性を担保できているのは、素材(自然)と意図(人為)とのせめぎ合い、その危うい均衡ゆえだといえる。
せめぎ合いあった危うい均衡が形となっている。この均衡をいかに手にするか、ここ十数年、粘土を板状(タタラ)にし形を造る仕事を続けている。このタタラは四角い筒状や箱状に組まれ、それぞれが異なった形状を成しながら時により100個を超えて積み上げられる。乾燥後解体、焼成、再度組み上げられひとつの作品となる。この仕事は行為の連続である。高度機械化農業が広まる以前、農夫が耕作地を守るために、ひとつひとつ黙々と積み上げた石組みや、あるいは雑念などなく坦々と種の伝達のために巣の造営に働く蜂、脈々と残し続けられた手の跡、いや体が遺した跡、これら彼らの不断の営みによって造り上げられる強靭な造型物の顰みに倣いたいとの思いによる。
行為の連続はそのままでは単なる記録に過ぎない。それが単なる記録、表記ではなく、世界、外部の読み解きとなるには少々の手続きが必要である。粘土の特徴は可塑性にあることには何の疑問の余地もない、万人がその感触を知悉しているのも承知している。誰がどのように粘土に働きかけても形が現れるが、これは記録にしか過ぎない。形を造る作者の働きかけはこれらと違い、自らの意図を持って素材を変形、加工しその帰結として変容した姿を眼前にすることである。ここで肝要なことは現れでた形に作者自身が感応することである。言いかえれば現れた形から作者自身も見られていると感じることによって、作者自らが造った形と現れた姿がお互いに呼応しているかを確かめる作業である。そのいく度とない往還、素材(自然)と意図(人為)との応答の繰り返しが造型することである。自らが造った形が「蜂が造営した強靱な造形物」かのように仮構され自他共に見えているのか、作者の不断の検証が求められる。粘土による手の仕事、手の跡による描写である。
表現したい衝動はあるが、これは伝えたいということとは違う。理論物理学者がある仮説を立てることを通して世界像を見てみたい、という衝動に近い。仮説を目の前に存在させたいというやみがたい衝動である。その仮説とは、個人の営みとしての手の仕事、手の跡が圧倒的に蓄積され、その量が眼前に現れたときに人間は表層に隠され潜んでいる本質を見て取り、物に蓄積された力を感じるに違いないとの確信である。根源的に人間が営々と自然(素材)を加工し、物を造り続けてきた歴史のことを思い起こすと、行為の連続は随所に発見できる。直接的な手の跡が見えにくくなっている現代、一見陳腐に見える手で造型する意思や物を造る志向の見直しが、新たに人間の生存の道筋を開くことに有効と考えている。拠って立つ規範を見失ったかに思える今だからこそ人間の生存を支える力の根源としても、造型する上での素材(自然)と意図(人為)との応答、均衡に注視する意味があるはずだ。
描くように、描写するように物を造りたいと思う。
2014年7月
井上雅之
リーフレット「パランプセスト 重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.3 井上雅之」αM(東京)